感覚文法

”我们来聊天吧”の”来”がなぜ必要なのか全く理解できない僕たち日本人

女性の絵

なぜ「私たちおしゃべりしに来よう」なんていう文章が中国語的に気持ちのいい文法として通るのかという難しい話をしようというわけではなくて…というかできないので自分なりの解釈と例を提示していく。

ここで肝になるのは”我们来”であることだ。
”你来”であれば”你来看我的儿子(うちの息子を見に来てくれた)”みたいに直感的にわかりやすい文章になる。

しかし”我们来”となるといったい誰がどこへ行くのかわからない。
だけど”我们来”は確かに存在する表現だ。というわけでどんな文章が成立するのか見ていく。

例えば…

1.我们来吃饭吧
(一緒に)ご飯を食べようよ

2.我们来玩游戏吧
(一緒に)ゲームしようよ

3.我们来介绍中国菜
私たちが(あなたにorあなた達に)中国料理を紹介しましょう

4.我们来招待我们家
私たちが家に招待しましょう

少し混乱しやすいかもしれません。
少なくともわかるのは1,2の例では「~しようよ。」という意味です。

3,4の例では”私たち”という塊が第三者に向けて何かをしているので、「私たちに任せて」というニュアンスになるので”我来(私に任せて)”という表現とほとんど変わりません。

これは本当に文脈によってなのですが…

1,2のように第三者が存在しない場合は「一緒にやろう」という意味になります。そしてなおかつ重要なのは”ここで”でやろうということです。ここも日本人の感覚からかなり離れています。

例えば…

”我们去吃饭吧”という場合は日本語では「ご飯食べに行こうよ」という風にかなり直感的にわかるのですが、”我们来吃饭吧”では、「ご飯を食べに来ようよ」という風に読むこともできます。

無駄ですよね”来”が。
だからこそ、”ここで”というニュアンス以外の意味がないのです。
それに「(ここで)~しよう」という風に言うときは”来”がないととても違和感を感じるからどうしても必要なのです。だから、慣れる必要がある語法の一つです。

例えば…

”我们来聊天吧”は意味が分かるけど”我们来打电话吧”は二人がここにいないはずなので、違和感しかありません。二人が同じ空間にいるときのみ”我们来”が感覚的に言いたくなるということです。
(※LINEor微信上などの会話なら遠隔地でも違和感がないかもしれません。例えば「ご飯食べよう」とか「音楽聴こう」とか。少なくとも一緒に同時に行いたい時のみです)

”来”も本当に初歩的な単語ですが、奥が深いですね。
学べば学ぶほど迷宮に入ってしいます。

僕は直感的に中国語を理解できたときに気持ちよく感じるタイプなのでこういうあいまいな表現で発見があったらまたお話ししますね。

単語を暗記する

単語をすこしづつでも覚えるのが良いと思います。あとは雰囲気を掴むためにドラマをみてセリフを真似してみたり。

私も自分の記事を見直したり、暗記したり、シャドウイングしたり、中国のドラマをみたりして少しづつ勉強しています。

 

こちらクイズ形式のミニアプリです。

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